高校生の頃から読みたいと思っていた
「ライ麦畑でつかまえて」を読み終えた。
ライ麦畑で男女が追いかっこする
純愛小説か何かと思っていたが、全く違った。
すさんだ学生が毒を吐きまくる歪んだ小説だった。
ただ、その歪みは
とてもまっとうで美しかった。
名門校で落第して退学処分になり
ドロップアウトした青年が主人公で
退学処分を受けてからニューヨークの実家に帰るまでの数日間が舞台。
全然ライ麦畑は出てこなかった。
あくまで象徴だった。
もちろん重要な象徴だったが。
学校に馴染めなかった主人公はどこかすさんでいて
周囲のあらゆるもの、学校や生徒、社会を批判している。
10代らしい純粋さで、周囲のあやゆるものを否定する。
その中で
ときおり偶然出会う優しさや弟や妹のへの愛情が顔を出しては
自己嫌悪に陥る。
10代ならではの気高い葛藤や恋愛感情が
克明に、リズムカルに、バランスよく配置されている。
そこに恩師や愛する妹からのアドバイスや忠告が入り
物語がまとまっていく。
とっ散らかっているようでいて
実はものすごく計算されたであろう構成で
さすが時空を超えて読み継がれる作品はすごい!!と感服した。
ただ、主人公の底流には
身近な肉親の死と同性愛被害が流れいて
そこはもはや理解のできない領域だった。
「10代に読むべき小説」の代表格のような作品だが
時代や国、文化の違いを考えれば
僕が10代に読むのは不可能だった。
今でないと読めない小説ではあった。
とはいえ、
40歳になって読んでも魂が揺さぶられるような感覚に陥った。
誰もが抱えている普段は誰にも見せない、
自分の奥底を揺さぶられたような気がした。
というか、揺さぶられた。
自分自身、18・19歳の頃が一番気高い精神だったことを思うと
おそらく、多くの人がそうであっただろうし
この小説はやはり、永遠に読み継がれるであろう作品なのだと思う。
村上春樹訳で
村上作品の源流の一つがここにあるのだと
確かに感じられた点も興味深かった。
そんなわけで
きょうはどうしても酒を飲みたくなったし
10代の自分に向き合うのに精一杯で
父親業がともなう双子に会う気がしなかった。
仲間を誘って
酒を飲んだ。
といっても結局
「自分は何者なのか?」
「何がしたいのか?」を
考えるのはいつもと一緒で
「とりあえず日銭稼いでもっと貯金して投資できる金作らないことにはどうしようもない」
といういつもの結論に陥った。
ただ、「ライ麦畑でつかまえて」を読み終えたことで
僕の中の何かのつかえみたいのがとれたせいか
連絡したいと思っていた仲間に連絡した。
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