あなたに「本」という出会いを

私という人間について

 私は映像を軸とした自営業者です。ローカルテレビ局で総合職で12年勤務して、4年前に独立しました。現在フリーランスの記者兼カメラ兼編集として、テレビ局のニュースの業務委託や、行政のYouTube作成、会社紹介動画などを請け負っています。

 局員のころは、ニュース番組で解説担当を任されたり、数いる記者の中からキー局出向に選ばれたりと「将来を嘱望されていた」とおっしゃっる方もいるのですが、私自身はアクセル全開、むしろ踏み込みすぎで「このままでは燃え尽きる」という状態でした。ローカル局の売り上げが右肩下がりなことにも背中を押され、サラリーマンを辞めることにしました。辞めざるをえない状況まで追い込まれていた、というのが本当のところですが。

 会社を辞めた大きなきっかけが、双子を授かったことです。

家族

 子どもが生まれ、自分が自分の親を激しく憎んでいることに気がつきました。

「毒親育ち」に気づき、中国人妻方の祖父母からの支援もない中で、記者業務をこなしながら順番に夜泣きする双子を育てるのはあまりに過酷で、会社を辞める以外に選択肢がなかったのです。辞めて一度リセットしよう。何もかも。両親とは縁を切りました。

 毒親育ちの私にとって心の拠り所は、でした。

 「毒親育ち」を自覚してから心理学の本などを貪り読んで、自分の奥底に潜んでいる「負の記憶」の掘り起こしに努めました。

 とりあえず会社を辞めるにあたって、失業保険を受け取りながら半年間学校に通う方法があることを知りました。こうした実践的なことを教えてくれるたのも本でした。

 扶養家族もいて住宅ローンもある中、どうやって食べていくのか?この難題に答えてくれたのも本でした。いろんな本を読んだ結果、地方は空き家の不動産投資に可能性があるとわかり、空き家を買い自分でリフォームし、賃貸に成功しました。

 私の目標は、シェアハウス兼ゲストハウス業を立ち上げることでした。みんながリラックスしてわいわいやれる場所が欲しかったのです。

 しかし、コロナが来るのを読みきれず、この目標に取りかかったところでコロナ禍に遭い、多額の借金を背負いこみ事業は失敗しました。

 銀行はもう貸してくれない、生活費も足りないという絶望の中でも、家に帰ると双子が「パパ」「パパ」と抱っこをせがんでくる。たかいたかいをすると満面の笑顔になる。でもちょっとでも与える愛情が足りないとケンカをしだす。

 住宅ローンやカードの引き落とし日は確定しているのに、振り込まれる予定はゼロ。コロナで社会は動かず仕事は全然こない。

 そんな中、知り合いから「新築の壁紙貼れるか?」ときかれ「貼れます」と答えてやってみた。しかし、というか案の定、DIYレベルでは下手すぎて、きちんとトラブルに発展。周りに迷惑をかけて初めて「自分は映像業なら市場価値があるんだな」ということがわかりました。

 やれることは発注いただいた映像業の仕事を一生懸命にこなすこと。予想以上の品質で納品すること。私と一緒に仕事をした人に感謝されること。

Close-up of a television camera lens on blurred background

 なんとか4年が経ち、おかげさまで固定客がついてきましたが、まだまだ油断はできません。この4年で自分には映像業でしか市場価値がないのがわかりつつも、心の中では「もっと好きな仕事があるはずだ」という思いと「毒親育ちで苦労してきたことを他の人にも生かしてほしい」という思いがあり続けています。

 また有能な方の多くが「毒親育ち」であったり、コンプレックスを強くもっているからこそ努力を重ねてきた人たちだと気がつきました。そして、このサイトを立ち上げました。

 「毒親」に苦しむ方々、自分勝手な大人に苦労している方々、愛情が足りないがゆえに情緒不安定になってしまいがちな方、どうしても不安な気持ちが残ってしまう方…

 そんな方々のお役に立てるをご紹介できればと思っています。

 目標は、このサイトを訪れてくださった方々の気持ちが少しでも楽になること。このサイトが少しでも心の拠り所になれること。ご紹介した本やサイトの広告収益を世に還元すること。そして仕事を通して双子と人生を楽しむことです。

 どうぞよろしくお願いいたします。